戦後の原材料不足の中、初代作者の息子によってよみがえった「二代目ハチ公像」

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仏像や鐘、さらには列車の線路まで回収された「金属類回収令」

戦争で供出された「初代ハチ公像」はハチの存命中に完成!作者はどんな人?でお伝えした通り、渋谷駅前で健気に主人の帰りを待ち続けた忠犬・ハチ公の銅像は、ハチ生存中の1934(昭和9)年に作成されました。
しかし悲しいことに、この時作られたハチの銅像は、戦争による金属物資不足のため「出征」することになってしまったのです。

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(初代ハチ公像の前で行われたハチ公一周忌の様子/画像出典:Wikipedia「忠犬ハチ公」より)

初代ハチ公像が作られた1934(昭和9)年は、日中戦争(1937(昭和12)~1945(昭和20)年)が始まる直前、まさに日本が第二次世界大戦へと向かっていた時代でした。
戦争の長期化により日本国内では金属物資が不足し、1941年(昭和16)年に「金属類回収令」が施行され、国内のあらゆる金属が「お国のために」と回収されていきました。

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(画像出典:Futta.NET)

回収の対象となったものは、国内の寺社に安置されてい仏像や鐘、各地の偉人の銅像、マンホールの蓋や鉄柵、民家の鍋や釜や郵便受け、火鉢、洗面器、タンスの取手などから、ベーゴマやブリキのおもちゃなどの玩具類にまで至りました。
なんとこの時に、国鉄(現在のJR)御殿場線の国府津~沼津間の元々複線だった線路が半分持っていかれ、現在も単線のままとなっているのだから驚きです!

日本は決して資源に恵まれた国ではないため、戦争によって金属資源の輸入が滞るようになったことで兵器を作るための金属不足が深刻化し、国内からかき集めるしかなくなったのです。

抗議活動と、ハチ公像の出征

当時から「渋谷の待ち合わせスポット」だったハチ公像も、
「渋谷駅前という目立つ場所にあるハチ公像が供出されないのでは、他に示しがつかない」
といういかにも戦時中らしい理由から例外とはならず、金属供出の対象となることが東京鉄道局より通達されました。

ハチを全国的な有名犬にした立役者である日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉氏は、なんとかこれを阻止しようと抗議活動を起こしました。
ハチ公像の芸術性を訴えるだけでなく、自身がハチ公像と同じ分量の銅を捻出する提案をしてまで、断固としてハチ公像を守ろうとしたのです。

その甲斐あってか
「ハチ公像は戦争が終わるまで表向きは『撤去』とし、別所にて保管する」
ということになり、1944(昭和19)年10月12日、渋谷駅でハチ公像に日本国旗のたすきをかけての「出陣式」が行われ、その後しばらく倉庫にて保管されていました。

しかしその後、作者の安藤照(てる)氏が1945(昭和20)年5月の東京大空襲により54歳で死亡。
ハチ公像も1945(昭和20)年8月14日、鉄道省浜松工機部で溶解され、機関車の部品となってしまったのです。
それは、終戦を日本国民に伝えた「玉音放送」の前日のことでした。

ハチ公像の復活

安藤照氏の息子であり、自身も彫刻家である安藤士(たけし)氏がハチ公像を再建したのは、終戦後3年が経過した1948(昭和23)年8月のことでした。
まだまだ戦後の物資不足が続いていた時代だったため、士氏は亡父が遺した作品『大空に』を熔かして「二代目ハチ公像」を完成させたのです。

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(現在も渋谷駅前で主人を待ち続ける二代目ハチ公像)

ちなみにこの時、ハチ公の「名称」がちょっとした問題となりました。
「『忠犬ハチ公』では、軍国主義を思い出させるので『愛犬ハチ公』にするべきである」
という意見が上がったのです。

しかし結局、二代目ハチ公像は「忠犬ハチ公」という名称のまま、現在に至っています。

【参考】
・Wikipedia「忠犬ハチ公
テーマ別歴史資料検索ナビ「アジ歴グロッサリー」/いまのハチ公は2代目ってホント?

petofuku編集部

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